一生懸命お母さん
- Macoron
- 6月23日
- 読了時間: 3分
私は、はじめての子育てで、一生懸命お母さんになろうと頑張っていました。
いちばん頑張ったといえば、そうだな・・子育て中、特に野球をしていた頃は、どんなに残
業で遅く帰っても手作りの食事を食べさせ、冷凍食品を使わず毎日お弁当も作っていたことかな。
この便利な時代に3食手作りって笑。
おかげで、友達と遊びに行ってもマックの買い方が分からず、友達が一緒に注文してくれていたのだとか笑。
でも野球の練習もトレーニングももちろん一緒にやりますよ。辛いことを一人で頑張れなんて言いません。なので、当然私のお腹はきれいに割れていました。笑
毎日、毎日、キャッチボールをし、暗くなると電柱の明かりの下でトレーニング。
腹筋に背筋にダッシュ・・・本当、昭和。
今だったら、まず寝なさいって言われています。汗
野球チームに入りながら野球塾にも通っていましたので、本人も大変だったろうと思います。高速を使い送り迎えをして夜遅くまでトレーニングをし、いつもご飯は10時、11時ごろ、その後、ユニフォームを洗って、片付けをして・・・あっという間に朝です。
結果、頑張りすぎていつしか私から笑顔が消えてしまい、家族で戦闘モードの日々・・・
母親は太陽でありなさい。
もうそんな言葉はどこへやら・・・。
目標を達成するのは我が子であり、頑張るのもその本人であるべきなのに、いつしかまるで私の目標であるかのように必至になって頑張る私。そのときの私に囁けるのでしたら、
「もしもし・・あなたは、伴走者ですよ・・・」
頭を冷やすこともできず、もう何も見えなくなっていました。
しかし、子供はそんな母親が苦しむ姿を望んでいなかったんですよね。
ただただ無条件に抱きしめてもらえる、安心して帰れる場所でいてあげればよかったのです。
そのときは必死で気づかなかった。
ちゃんとしなさい。
頑張りなさい。
何で〇〇しないの!!
もう本当に今、穴があったら入りたい・・・ばかちんな私。
何を目指していたのか。子供の何を見ていたのか。
そんな未熟な子育てをしてしまった私に子供は社会人になるとき「今まで一生懸命育ててくれてありがとう」って。
愛の言葉をくれました。
そのときにハッと気づきました。本当の愛情というものを。
世の中はよく出来ています。こんな精神が未熟で学びが必要な私には優しい子が与えられるんですね。
この子だったから私の子育てを見守り耐え続けることができたんだと思います。
本当に育てられていたのは私の方だったのでした。
ただ純粋に愛して、抱きしめて、信頼すること。
そして何よりも大切なことは、私自身が幸せでいることでした。
私の子供が教えてくれた子育て、勉強になりました。
私は、気づくことが出来たそのままを子供に伝え、謝りました。
そして、こんな風に感謝の気持ちを伝えました。
親風の私を温かく見守ってくれて本当にありがとう・・・。みんな爆笑!
こうして子育て風お母さんを卒業したのでした。
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